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6/27『富士山行きの鉄道は実現するのか。』X

富士山の世界文化遺産登録が決まった。観光客も増えるなど、早くも恩恵を受けているようだ。 そこに富士登山鉄道の構想が浮上した。富士五湖観光連盟は総会を開き、 「世界遺産登録を機に登山鉄道を実現させたい」と意欲を示したという。

富士五湖観光連盟の会長は富士急行の社長だから、この発言は富士急行の延伸構想とも受け取れる。 富士急行の堀内光雄会長は自民党の総務会長だった人物である。 自民党政権復活の機運もあるかもしれない。

山梨県知事、静岡県知事、NPO法人富士山クラブ理事長が会談した。 富士山クラブ理事長が「富士山五合目の周辺を一周する、あるいは富士五湖をつないだ登山鉄道をつくるべき」と提案。 山梨県知事は富士スバルラインを鉄道に転換する意向を示した。 静岡県知事も県道(富士山スカイライン)を鉄道に転換するアイデアで、JRや私鉄へ働きかけたいと意欲を示している。 静岡県をも巻き込んだアイデアが実現すれば、富士吉田市から御殿場市まで、富士山観光の鉄道回遊ルートが完成する。 登山客は富士山の縦走ルートを楽しめる。

富士登山鉄道の構想は、過去に何度も企画されては消えていった。

富士登山鉄道の開発は1910年(明治40年)に計画されていた。 明治50年を記念した大博覧会に合わせて、鉄道省の技師が計画した。 しかし日本山岳会の重鎮が自然保護の観点で反対。 結局、明治50年には実現しなかったため、この計画は消滅する。

次は1914年。東京の起業家が御殿場から富士山頂までの鉄道を計画した。 しかし地元の反対運動などで許可が下りなかった。

3度目は1922年。御殿場側八合目から頂上までのケーブルカーの計画だ。 これは山梨県、静岡県から許可されなかった。1924年も別のルートで頂上までのケーブルカー計画が申請された。 これも不許可。その理由は「地質的に鉄道の建設は危険であり、信仰の対象となる霊山をけがす行為であり、 将来は国立公園とするため自然美を残すべく、遊覧本意の鉄道は避けたい」という趣旨であった。

1928年は富士吉田側の馬返しから八合目までの電気鉄道計画があり、 1929年は山梨県知事から五合目までのケーブルカーが提案されたが、どちらも実現しなかった。 1935年に「馬返し―五合目」と「五合目―頂上」のケーブルカーが計画された。 これは1940年の東京オリンピックの開催に合わせた計画で、 スイスのユングフラウやオーストリアのチロルに匹敵する国際的な山岳観光開発を目的とした。 こちらも反対を唱える意見が多く、内務省も許可しない方針だったという。 その上、東京オリンピックは第二次大戦の影響で中止となり、 ケーブルカー計画も立ち消えとなった。 このとき、別途計画されていた五合目までの道路案も消滅する。

富士登山鉄道について、「鉄道はクルマより環境負荷が低い」というだけでは実現は難しいだろう。 確かに鉄道は道路よりも環境負荷は小さい。しかし、環境負荷をゼロにはできない。 本当に環境を考えるなら「鉄道も道路もやめたほうがいい」となるからだ。 自然環境破壊の根源は、クルマや鉄道ではなく、それを利用する人間たちである。 半端な開発をするくらいなら、道路も鉄道もやめて自然を保護、回復したほうがいい。

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4/7『小選挙区制は本当にダメなのか。』X

議員や識者の中には、「小選挙区では大量の議員が一挙に入れ替わり、政治が不安定になる。
議員が代わっては、政治主導も発揮しにくく、外交力も弱まる。
だから、中選挙区制を復活すべきだ」との意見もあるようだ。
しかし、このような議論は、小選挙区制を採用した理由を忘れている。
小選挙区制の利点は、政治の選択すべき争点を集約化し、その争点で勝った政党が安定多数を取って、
その政策を実施しやすくなることだった。

中選挙区制では、同じ政党から何人もの議員が出馬する。
これは党首の力を弱める。小選挙区制だからこそ、一つの政党からは一人の候補者しか出馬できず、
最終的に公認権を持つ党首の力が強まる。またここで政策を集約できる。

何人も出馬するのでは、政党と言いながら政策が集約できない。
また、同じ政党の議員が、当然ながら同じ政策を唱えるのでは、
選挙民としてどちらに投票したら良いか分からなくなる。
結果として、選挙民の政策への関心が低下し、
議員の選挙民に対するサービス競争で選挙の勝敗が決まるようになってしまう。

政策は官僚任せで、政治が何も選択しなくてもよいのなら、それでもよいが、
そうはいかないから小選挙区にしたということではなかったか。
90年代以降、日本経済は停滞し、国際的地位も低下し、中国の台頭は著しいという状況にある。
政治が何も選択しなくてよいという状況にはない。

小選挙区制は、投票率のわずかな変化が議席の大きな差異を生む。
それが大きすぎるというのではあれば、比例の議席を増やすという手もある。
議員が変わりすぎるというのであれば、選挙民には不評だった、
小選挙区の候補が比例で復活する制度も悪くないことになる。

今回の選挙でも、不明確ながらも政策の争点があった。
自民党が金融政策を焦点にして選挙を戦ったこともその一つだ。
これまで、政治家は、財政政策には関心があったが、金融政策には関心がなかった。

財政政策とは地元に橋や道路やホールを作ることだが、
金融政策の効果は、じわじわと効いて景気がよくなったり、悪くなったりするものだ。
今までの自民党の政治家は、それがどのように効くのか良くわからないので、日銀官僚に任せておけということだった。
ではなぜ今回、安倍総理は金融政策に焦点を当てたのか。

それは総理が、金融政策の効果は強力で、その失敗によって、自民党は政権から追放されたと考えるようになったからだ。
1990年代からの長い経済停滞が、国民の自民党離れを招いたと考えたからである。

中選挙区制であれば、このような争点が明確になっただろうか。
自民党の中にも、特に有力議員を中心として、金融政策は日銀官僚に任せておけばよいという人も多かった。
そのような議員が、別々に自分の考えを述べていたら、選挙後も一貫した政策をとりにくくなっただろう。

ただし、今回の争点、金融政策は、政策の集約としてはさほど困難なテーマではなかったといえる。
抵抗勢力となった日銀の政治力など大したことはないからだ。
今後の日本は、もっと強力な抵抗勢力に打ち克って、国の進路を決めていかなければならない。

台頭する中国、少子高齢化、国を開くより規制や保護で守ってくれという産業、
それらに抗して、日本は、開かれた国となるべきである。
そのためにも、小選挙区制の、政策の争点を作り、総理のリーダーシップを強める力を生かしていくべきだ。
選挙制度改革であれば、中選挙区制の復活より、一票の格差の是正に力を入れるべきである。

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